2021年聴いて良かったアルバム(順不同)


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https://music.apple.com/jp/album/cavalcade/1556010645?ls

ストパンク/プログレ

ブッ飛び!

マジで何でもやれるバンドなの凄すぎね

 


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https://music.apple.com/jp/album/music/1569308429?ls

事変

アザーーーーーーーーーーーーーーーッス!!!!!!!

 

 


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https://music.apple.com/jp/album/%E6%9C%88%E3%81%AE%E5%85%8E%E3%81%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A4%A2%E3%82%92%E3%81%BF%E3%82%8B/1574640747?ls

ポップス

ASA-CHANG&巡礼MONACAオーケンいとうせいこう、長谷川白紙、NARASAKI、ササキトモコが1枚のアルバムで聴けることあるんですか!?!?!?

20-30代のサブカルの人は気絶するでしょこのメンツ

アニメ/アイドルソングの文脈だけど寧ろめちゃ贅沢なサブカルポップスって感じなので、VTuber良く知らないからって聴いてないのマジ勿体ないっすよ

 


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https://music.apple.com/jp/album/an-evening-with-silk-sonic/1589361543?ls

R&B/Soul

アザーーーーーーーーーーーーーーーッス!!!!!!!!!!

 


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https://music.apple.com/jp/album/1582896171?ls

テクノ/ダンス

BOYS NOIZEほんとすこ

ダンスミュージックのアルバムだと年間1位でしょ

 


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https://music.apple.com/jp/album/2hearts-ep/1573839978?ls

Bass House

next JOYRYDEって評されてるの見たことあるけどそれも納得、basslineぽい疾走感ある真っ当にカッケー曲ばかり

これまで共作が多かったけど、今年は単独名義でもいっぱいリリースして欲しいな

2022年のBassHouseシーンはKnock2ですよ

 


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https://music.apple.com/jp/album/afrique-victime/1586464398?ls

ロック

デザートロックって言うんですか?これ

西サハラトゥアレグ族のギタリストで、砂漠のジミヘンの異名を持ってるらしいッス

今後のワールドワイドなロックの金字塔になるのは間違いないカッコ良さね

 


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https://music.apple.com/jp/album/sometimes-i-might-be-introvert/1561923202?ls

Hip-hop

み〜んな評価しとる(音楽的にもポリティカルな面でも)

ラップもビートもクラシカルでめちゃクール

テクいコンシャスラップってやっぱ良いのよね、Lupe Fiasco好きだったの思い出したわ

 


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https://music.apple.com/jp/album/%E6%99%82%E9%96%93/1579826439?ls

オルタナティブロック

今年の邦楽アルバムで1番聴いたのこれかも

King Kruleっぽさあるダークな1曲目からのマジヤバ白眉の2曲目、3曲目あたりからは歌謡テイスト加わって……とアルバム通して良いもん聴いた感があります

 


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https://music.apple.com/jp/album/larderello/1581131657?ls

rap

Dos Monosってかっけーのよ

 

スマホから編集してるからレイアウトがキショくなっちゃった

感想をメモします、シン・エヴァンゲリオン劇場版の……

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきたので感想を書きます。他の人の感想や考察はほぼ目にしていない状態で書いてみます。

僕としてはかなり好きな映画でした。朝イチで観に行ったのですが、その後丸1日虚脱感が強くて全ての動作がゆっくりになってしまいました。

厳しい人に怒られたくないので、ネタバレ抜きではこんな感じの事しか言えません。まだ観てない方は観てください。特にQまで観た人、Qのモヤモヤ感を抱えたまま生きていくのは損なので早いとこ観てしまった方が良いです。あと時間があれば旧劇場版を見返したりすると良いかも知れません。

さて、リツコ以降はネタバレ有りで進めます。

 

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・シンエヴァ良かった〜

まずちゃんと、誰にでもわかりやすく前向きに終わらせた事が偉いと思ってしまう。シンエヴァ公開前日に旧劇を観たせいで戦々恐々としてたから余計に。シンジは過酷な経験を通して成長し、世界を救い、父親を救い、エヴァに巻き込まれた子供たちを救い、そして全てのエヴァンゲリオンに別れを告げた(汎用人型決戦兵器の類にもエヴァというバケモンコンテンツそのものにも)。そして大人になったシンジは現実へと笑顔で走り出していく……文句ナシ!!!!!

最後に迎えに来るのがマリなのも僕はめちゃくちゃ納得がいった。そうだよな、思春期の恋愛の顛末が旧劇のアスカとのアレだったとして、大人になって現実の世界に走り出すっていう段になったら手を引っ張る役はマリなんだよな。結局人は「陽」の存在に暖められるのが一番良いんよ……。真希波・マリ・イラストリアスは新劇を進めるにあたってTV版旧劇場版との違いを発生させるための存在だったと思うんだけど、最終盤になってやっとその役割を十全に果たしたな、と思う。

あと、イスカリオテのマリア←異名カッケー過ぎ

 

・ゲンドウ

シンエヴァエヴァのメインキャラクターそれぞれを救済しようとしていたように感じた。特にTRIGGER作品の宇宙人みたいになったゲンドウ。ゲンドウに「息子と心根からの会話をして自分の心情を受け止める」「ユイと(一応)再開する」「その上でユイと一緒にシンジをアナザーインパクトの引金役から逃す形で"父親"としての役割を演じる」という贖罪の流れを用意してあげてたのはホントに良かった。シンエヴァはゲンドウの物語であった、という側面は誰にも否定できないだろう。

 

・アスカ、レイ、カヲル

シンエヴァで地味に驚いたのがアスカもレイと同様いっぱい作られたうちの一人であったこと。この綾波シリーズ式波シリーズという概念は相当示唆的で、レイ・アスカ両名が四半世紀にわたり美少女のアイコンとして使い潰されていたことがどうしても想起されてしまう。アスカをクローンの存在にするのって作劇上必要なこととは思えないし、オタクにちょっと意地悪したかったのかな。

本作では主要な登場人物全員を徹底的に救済してあり、チルドレンにも幸せが用意されていて良かった。ケンスケがアスカを支える存在になっていたことはネットに若干「荒れ」の気配を感じるところではあるが、精神が28歳の大人になってしまったアスカの側に同じく大人になったケンスケがいるのは自然なことだと思う。ケンスケは繊細な14歳失語シンジにも完璧な気の遣い方ができるくらい超イイ男に成長してたし、ニアサー以降の14年を共に過ごしたらそら絆も生まれるだろうし。まあ、なんだかんだでアスカがシンジを劇中ずっと気にかけ続けていたり、「アンタのこと好きだった」って言えてスッキリしてたりとシンジに元カノ感溢れるムーブをかましていたのも可愛かったね。あとアスカに関しては旧劇の海辺でのラストシーンを成長したシンジにやり直させたのもマジで良かった。僕も好きだった、確かにあのアスカにはそれ以上の言葉は要らんよな……

アスカ、レイ、カヲルにシンジが言葉をかけて虚構の世界から開放していくシーン、あれはエヴァンゲリオンというコンテンツで働き続けたキャラクター達への感謝と労いの儀式として素晴らしかったと思う。真摯にエヴァを畳みにかかってるなって印象だった。慰霊祭的な催しで成仏させているようだとすら思った。「君たちは各々の幸せを浄土(=現実)で求めていいんだ」的な。そういえばシャーマンキングの新アニメが4月から放送開始だな。

 

・新劇場版だけで完結するように作ってくれてて良かった

新劇場版は序公開前の庵野監督による所信表明にあったように、旧作を観ていなくても大丈夫なように、新劇場版のみで完結するように作られていた。それが僕個人としては嬉しく感じた。僕が物心つく頃には新世紀エヴァンゲリオンはもうすでに「かつて社会現象を巻き起こした有名なアニメ」であり、過去のものであった。言っちゃなんだが古典作品である。TV版最終話やEoEの衝撃、レイアスカというヒロイン像の強さ、セカイ系の趨勢、世紀末日本の閉塞感などを肌で感じることはできず、アニメと考察サイトを見ながら想像することしかできなかった。その辺の空気感込みでエヴァを味わって夢中になっていた昔からのファンが羨ましいとすら思った。なので新劇が「今の中高生に向けて」作られるらしい、と聞いて遂に俺もエヴァを生で観た世代になれるのか的なことを思った記憶がある。あれから十数年、自分も大人の年齢となり世間は天災や感染症などの動乱があり、その全てを経てシンエヴァを観ることができたのは良い体験となった。エヴァや映画に限らず全ての創作物はそれができた瞬間に摂取するのが一番味が良いな、と思った。

あとこれは偶然だが、シンエヴァは帰省中に地元の大分で観た。序破Qも大分で観たのでなんだか感慨深いものがあった(てかQ公開後に6年制の学部入って留年して卒業して遂にシンエヴァが公開てどゆこと?)。来月から(やっと)社会に出る自分の背をシンエヴァに押して貰えた感覚もあり面映い。

 

その他雑記

・「行きなさいシンジくん」をミサトさんが回想するシーンはちょっと笑っちゃった。みんながイジるからミサトさん気にしちゃってんじゃ~ん!

・結局流れの大筋は旧劇を擬えていた感があったな。ちなみに旧劇はこの動画を観ると完全に復習できます。EoEは意外と前向きな作品なのだ。

youtu.be

ゴルゴダオブジェクト←名前カッケー過ぎ

・ガフの部屋(扉)が何なのか解らないまま終わってしまった。次元を超越した空間に行けまっせ的な解釈でいいんスかね?

・ゼーレは想定外がかなりあったと思うんだけど、我々の願いは成就したみたいな顔出来てたの凄いな。このオリチャー移行の上手さ……biimチルドレンか?

・新劇場版におけるテクノロジー、呪術的な要素かなり強いよね?儀式とか呪紋とかが力を持つ世界観だからゼーレとかも宗教結社感が色濃かったのかな。世界観に自信ニキとその辺話してみたい。

・トウジとケンスケが良い奴に成長していてホントに良かったな……あの状況でシンジに棘のある対応をしようものならそこで物語が終わり兼ねないし。村でのシーンはシンジが徹底的に塞ぎ込み続けている停滞感を元クラスメイト達の人の良さとアヤナミのわくわく職業体験で中和してストレス軽減に繋げようとしていた印象。

・初号機対第13号機の特撮パロのとこ、やりたいことやらせていただきま~す!!!!!って感じで清々しかった。

・昔からのエヴァファンの中にはあんまりいい顔しない人も多いかもな。僕はエヴァ全体でも破の「綾波を返せ」のとこが大好きなのでシンジがわかりやすい過程で強く成長してのハッピーエンドを好意的に受け取るんですけど、ヒネたおじさん的にはどうだったんだろ。

・「オタクは現実を見ろ」系のメッセージがある作品は多々あるけれど、今作の現実への帰し方はかなり優しかったな。大体のオタク現実帰し作品はフィクション世界をブッ壊して終わったりオタクの感情移入を様々な手段で排斥したりと「ここから出ていって勝手に自立しろ」の形でオタクを帰していたように思う。でも今回観客のオタクはシンジと共に虚構の世界から脱出を経ることで「手を繋いで一緒に現実に向かって行こうぜ」という拒絶じゃないメッセージを与えられ、実写の世界へと明るく走り出すことが認められている。めっちゃ優し~!これで成仏した地縛霊いるだろ。

 

ざっと思ったことはこんな感じです。とにかく僕にとっては好きな映画でした。有識者の解説が出揃ったあたりでもう一回くらい観に行きたいな。

エヴァンゲリオン、最高~~~~~~!(腕を振り上げ跳び上がる)

ラピンスヒム・ケッツァ(ジョーカー観たヨ)

・ジョーカーを見た翌日にハイローザワを観たので気が狂ってしまいました。ハイローの異様なブチアゲ成分で感受性がバカになってしまったので、頭の中を整理する意味合いでジョーカーの感想を書きます。とってもすごい映画だったので……

 

・先にハイローの話を済ませておくと、HiGH&LOW THE WORSTは最高のエンターテインメントでした。轟っていうシリーズおなじみの顔が良いメガネと小田島有剣っていう初登場の顔が良い金髪グラサンチェーンがすごくかっこよかったです。村山さんもずっと最高でした。シリーズファンは絶対満足するし初見でもほぼ大丈夫だと思うので、みんなも世界最高峰の集団ステゴロ格闘シーンを観に行こう!!!!

youtu.be

・ジョーカーの話をします。ネタバレを気にせずに……

 

・良い映画でしたね……アメリカの閉塞感が反映されてるって言われてますけど、日本でも似たような民衆の心の動きってあるし、格差社会そのものが映画の骨幹としてあるんだろうなって思いました。あとアーサーの圧倒的弱者であるという背景故の暗い輝きにクローズアップしている点がこれまでのジョーカーの撮られ方(理解不能な悪のカリスマ)とかけ離れており、ここにノれないとイマイチに見えてしまうかもな~って感じもあります。

主演のホアキンフェニックスの設定、ビジュアル、笑い声、動き、その他諸々すべてがジョーカーとして満点で、映画観ながら5分毎に「こんなんジョーカーじゃん……」って呟いていました。

映画全編良かったんですが個人的には終わり方が特に痺れる出来で、精神病棟内の「コメディ的追いかけっこ」の画で締めるのはすっげぇクールだと思いました。サイコ~

 

・以下は読まなくていいです。思いついたことのメモなので……

 

・道化師のメイクにケバいスーツ、ジョークグッズを操りヒーローを苦しめる……ジョーカーというキャラクターはアメコミの『バットマン』シリーズで最も有名なヴィラン(悪役)ですね。アメコミの悪役という括りの中でも特に広く知られているキャラクターですね。今現在サノスとどっちが知名度高いんだろ?

ジョーカーの存在を広く世に知らしめたのはなんと言っても映画『ダークナイト』のヒース・レジャーの怪演だってのは誰も否定できないところだと思います(鉛筆消すマジックほんとすき、将来ジョーカーになったらやりたいことランキング第一位)。アメコミ映画の歴史を変えたあの演技以降、ジョーカーはめっちゃ扱いづらいキャラクターになってしまったんじゃないでしょうか。誰がどう演じても最も有名な「あのジョーカー」と比べられてしまうんですからね、リブート作品のスピンオフですら……ジャレッド・レトもスゲー良かったと思うんだけどな……

そんな扱いづらいキャラクターですが、本作は「個人としてのジョーカー」を描くことでこれまでのジョーカーのストーリーとは差別化がなされています。この世にはジョーカーが出演したたくさんの映画作品があります。しかしバットマンハーレイ・クインなどの他キャラと絡めることなくジョーカーだけの話をした、なんてのは映画では今作が初めてで(多分)、「この映画の悪役であるジョーカーが良かった」議論から逸脱できる存在になってるんですね~オタクのしょーもない議論から外れられて良かった~~~~~

 

・今作はジョーカーのオリジン(出自)を描くお話になっているのですが、ジョーカーがもともとピエロだった、という設定に関しては「バットマン:キリングジョーク」というコミックが近いかと思います。*1キリングジョークではジョーカーはもともと人生どん底の売れないコメディアン”ジャック”で、ある晩に起きた出来事がきっかけで狂ってしまい犯罪王になってしまう、という設定でした。今作では人生がうまくいっていない売れないピエロ”アーサー”で、日々受ける社会からの仕打ちや大切なものの喪失、社会そのものに蓄積された民衆の怒りなどの誘因で闇に堕ちていく、というのが大筋です。キリングジョークと本作の違いは上でも述べましたがバットマンとの関係/因縁/対比の有無です。キリングジョークではバットマンの対となる存在としてジョーカーは作られており、彼にとってバットマンは悪の道に堕ちた原因であり、また一方で悪の道から救ってくれる唯一の可能性だったりするのです。かたや映画ジョーカーではバットマンは(まだ)おらず、アーサーの悪事を止めてくれる立場の存在は全く存在していません。ストッパーがいないっていう救われなさ、あるよね……

 

バットマンという作品においてジョーカーを出演させる時、作者には大きく分けて2つの狙いがあるんじゃないかと思っています。①「正義」バットマンが立ち向かう、「絶対悪」としてのジョーカー②「正義を為そうとする人間」バットマンの「鏡写しの存在」であるジョーカー、の2つ。①の方はダークナイトを思い浮かべるとわかりやすいと思うんですけど、普通の人類から完全に切り離された存在として描かれていることが多いです。超常現象のような悪意。人格形成の過程が全く推測できない、別の種族であるかのような考え方。初期のコミックスでは特に顕著ですが僕らのヒーローたるバットマンが打倒すべき、悪のカリスマを持つ怪人として描かれていました。逆に②のジョーカーは先述のキリングジョークや、コミック『ラバーズ&マッドメン』*2に描かれるように「バットマンがいるからこそ狂ってしまった人」です。宵闇に映し出されたバットマンの月影です。この場合は怪人ジョーカーに変貌したきっかけがコウモリ姿の男であるとハッキリ描かれています。悪人を討つことでバットマンが為さんとす正義の矛盾を克明にする役割を持って舞台に登場するのです。「バットマンがいなければこうはならなかったのに……/バットマンがいるからこそジョーカーで在れる……」って具合で。

 

・さて、この映画におけるジョーカーは①②どちらのジョーカーとも違うことがお判りですね。バットマン誕生前の話だからです。バットマンとの関係性が極めて薄い今作のジョーカーは「バットマンシリーズに出演するキャラクター」としての属性はほぼありません。ウェイン夫妻を殺害するのがアーサーとは直接関係のないぽっと出の男だったこともあり、ジョーカーはバットマンとできるだけ切り離して描かれていたように思えます。

今回のジョーカーは言うなれば ③負の感情の集積 として舞台に立っているのでしょう。笑いに、社会に、肉親に、散々裏切られ苛められてきたアーサーは殺人を犯します。その殺人は貧しい者たちの共感を得て社会運動のシンボルとなっていくわけですが、ここで注目しておきたいのはアーサー個人の経験や感情が社会運動と直接関係していないという点です。終盤で暴動を起こしている群衆は皆、富裕層に一発喰らわせたピエロを讃えています。しかしアーサー=ジョーカーそのものに共感している者はおそらく一人もいません。群衆はアーサーの生い立ちに同情を示すわけでもないし、ボロボロのネタ帳に書き留めたジョークで笑ってくれるわけでもありません。ただ、人々が感じている行き詰まりへの怒りを象るものとして、ジョーカーが社会に放ったカウンターパンチを讃えているだけなのです。その頃にはもう観客は過去イチの同情的な心境になっているんですけど……

このジョーカーの立ち位置は異例です。映画のエンディングでアーサーはアーカムアサイラムっぽいところに収監されます。あのシーン、バットマンのアニメシリーズだったら絶対脱獄の可能性を匂わせるかあるいは脱獄しちゃうかしてエンディングに入るし、デモを起こしてた暴徒たちはジョーカーに心酔した集団になって脱獄を手伝ったりしてたと思うんですよね。でも今作ではカウンセラーを殺してカッコいい血の足跡を残しながらアサイラム内で終幕。ジョーカー一味なんてものが結成された描写はありません。いち犯罪者としてのアーサーは(警察以外には)気にも留められていないのです。アメコミのように脱獄を繰り返しながら愉快な大犯罪をプロデュースする道化王子、などという未来はアーサーには存在しないのでしょう。本作の世界で将来的にバットマンと戦うことになるジョーカーは、(いるとすれば)アーサー本人ではなく80年代に発生したジョーカーという象徴のフォロワーになってしまうんでしょうね。今作のジョーカーの正体はアーサー本人というよりは「何もかも失くした男の一瞬の煌き」とするのが一番しっくりくるんじゃないかな。

 

・何を書きたいかわからなくなってきたな。

 

・ラストについて。カウンセラーを多分殺したアーサーは血の足跡を残しながら廊下を歩いてゆき、角を曲がったと思ったら他の囚人(看守かも)と追いかけっこを始めます。トムとジェリーのようにコミカルなアーサーをバックにENDの文字が浮かびエンドロール。僕はこの終わり方がほんっとに好きです。

あの追いかけっこはアーサーが喜劇の主人公である道化を演じきったことを表しているのかな、と捉えました。彼の人生は裏切りや狂気、怒りと悲しみに満ちているのですが、それは演者の目線に過ぎません。アーサーの人生の観客=私たちの眼には彼の行動のぎこちなさ、報われなさ、愚かさが客観的に映ります。客観的に観ているからこそ彼による民衆へのアジテーションがイリュージョンのような鮮やかさを備えていることに気づけます。これ、ピエロの演目と同じ仕組みなんですよね。内容が内容だから僕らが笑えないだけで、彼の変なタイミングで笑ってしまうという世間とのズレや自動ドアにぶつかるような間抜けさ、エア恋人と過ごす滑稽さなどは、哀れなピエロの笑いどころなのです。エンディング前のアーサーは気づいているのかもしれません。客席から観てる分にはどんな悲惨な人生もエンターテインメントだと。

 

・思い返すと細かい点に注意しながら観ておくべき場面が結構あったので、もう一回観たいと思います……

 

・みんなもジョーカーとハイロー観てね

*1:アメコミは一つの作品をを複数の作家が書く――例えば尾田栄一郎が考えたルフィが主人公のワンピースをを岸本斉史松井優征武井宏之がそれぞれの設定を加えて書いてジャンプに載せてるみたいな――というのがふつうで細かな設定が作者ごとに違ったりします

*2:犯罪の天才である男が駆け出しのバットマンと出会うことでジョーカーへと変貌する物語

カプンナック・セパルキ

・牛丼やラーメン食った報告をスタバ行ってきた風に紹介するユーモア、令和なのにまだやってる人がいるな。あとエナジードリンク飲みすぎ修羅場ユーモアなども。見ていると眼球の裏にヘドロが溜まるような感覚になって良くない。

 

・ユーモアが「ダサくなる」のはどの時点なのだろう。追随者が増えすぎた時?人口に膾炙しすぎた時?それとも単に生まれてから時間が経ちすぎてしまった時だろうか?インターネットのオタクが言うスタバギャグやオッサンの時流にそぐわない発言のように「あるコミュニティでのみ流行し、そのコミュニティ内での流行が収束し、それでも尚全盛期と同じテンションで繰り出されるユーモア」が世の中で一番キツいように感じられるので、単に流行度合いとか鮮度そのものが反映されるってわけでもなさそうだな。後でもうちょい追究しとこ。

 

・無い熟語をはじめてしばらく経つが、特に何も学びはない。「本当に意味の無いこと」「真にオリジナルの発言」を求めて始めたような気がするが、そこに発見などはなく、ただ何バイトかのデブリが生まれるだけだ。無い熟語では、感情を吐露するように自身の中で自然に生じた言葉ではなく、自分の心中に絶対に存在しない言葉を出力している。専用の回路を使うからか、平生必要な脳パワー(脳が使うMPみたいなやつ)の消費も限りなくゼロな感覚があるのでこれからも続ける。

 

・一昨日の昼まで夏だったのに夜から急に秋になったよね?