ラピンスヒム・ケッツァ(ジョーカー観たヨ)

・ジョーカーを見た翌日にハイローザワを観たので気が狂ってしまいました。ハイローの異様なブチアゲ成分で感受性がバカになってしまったので、頭の中を整理する意味合いでジョーカーの感想を書きます。とってもすごい映画だったので……

 

・先にハイローの話を済ませておくと、HiGH&LOW THE WORSTは最高のエンターテインメントでした。轟っていうシリーズおなじみの顔が良いメガネと小田島有剣っていう初登場の顔が良い金髪グラサンチェーンがすごくかっこよかったです。村山さんもずっと最高でした。シリーズファンは絶対満足するし初見でもほぼ大丈夫だと思うので、みんなも世界最高峰の集団ステゴロ格闘シーンを観に行こう!!!!

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・ジョーカーの話をします。ネタバレを気にせずに……

 

・良い映画でしたね……アメリカの閉塞感が反映されてるって言われてますけど、日本でも似たような民衆の心の動きってあるし、格差社会そのものが映画の骨幹としてあるんだろうなって思いました。あとアーサーの圧倒的弱者であるという背景故の暗い輝きにクローズアップしている点がこれまでのジョーカーの撮られ方(理解不能な悪のカリスマ)とかけ離れており、ここにノれないとイマイチに見えてしまうかもな~って感じもあります。

主演のホアキンフェニックスの設定、ビジュアル、笑い声、動き、その他諸々すべてがジョーカーとして満点で、映画観ながら5分毎に「こんなんジョーカーじゃん……」って呟いていました。

映画全編良かったんですが個人的には終わり方が特に痺れる出来で、精神病棟内の「コメディ的追いかけっこ」の画で締めるのはすっげぇクールだと思いました。サイコ~

 

・以下は読まなくていいです。思いついたことのメモなので……

 

・道化師のメイクにケバいスーツ、ジョークグッズを操りヒーローを苦しめる……ジョーカーというキャラクターはアメコミの『バットマン』シリーズで最も有名なヴィラン(悪役)ですね。アメコミの悪役という括りの中でも特に広く知られているキャラクターですね。今現在サノスとどっちが知名度高いんだろ?

ジョーカーの存在を広く世に知らしめたのはなんと言っても映画『ダークナイト』のヒース・レジャーの怪演だってのは誰も否定できないところだと思います(鉛筆消すマジックほんとすき、将来ジョーカーになったらやりたいことランキング第一位)。アメコミ映画の歴史を変えたあの演技以降、ジョーカーはめっちゃ扱いづらいキャラクターになってしまったんじゃないでしょうか。誰がどう演じても最も有名な「あのジョーカー」と比べられてしまうんですからね、リブート作品のスピンオフですら……ジャレッド・レトもスゲー良かったと思うんだけどな……

そんな扱いづらいキャラクターですが、本作は「個人としてのジョーカー」を描くことでこれまでのジョーカーのストーリーとは差別化がなされています。この世にはジョーカーが出演したたくさんの映画作品があります。しかしバットマンハーレイ・クインなどの他キャラと絡めることなくジョーカーだけの話をした、なんてのは映画では今作が初めてで(多分)、「この映画の悪役であるジョーカーが良かった」議論から逸脱できる存在になってるんですね~オタクのしょーもない議論から外れられて良かった~~~~~

 

・今作はジョーカーのオリジン(出自)を描くお話になっているのですが、ジョーカーがもともとピエロだった、という設定に関しては「バットマン:キリングジョーク」というコミックが近いかと思います。*1キリングジョークではジョーカーはもともと人生どん底の売れないコメディアン”ジャック”で、ある晩に起きた出来事がきっかけで狂ってしまい犯罪王になってしまう、という設定でした。今作では人生がうまくいっていない売れないピエロ”アーサー”で、日々受ける社会からの仕打ちや大切なものの喪失、社会そのものに蓄積された民衆の怒りなどの誘因で闇に堕ちていく、というのが大筋です。キリングジョークと本作の違いは上でも述べましたがバットマンとの関係/因縁/対比の有無です。キリングジョークではバットマンの対となる存在としてジョーカーは作られており、彼にとってバットマンは悪の道に堕ちた原因であり、また一方で悪の道から救ってくれる唯一の可能性だったりするのです。かたや映画ジョーカーではバットマンは(まだ)おらず、アーサーの悪事を止めてくれる立場の存在は全く存在していません。ストッパーがいないっていう救われなさ、あるよね……

 

バットマンという作品においてジョーカーを出演させる時、作者には大きく分けて2つの狙いがあるんじゃないかと思っています。①「正義」バットマンが立ち向かう、「絶対悪」としてのジョーカー②「正義を為そうとする人間」バットマンの「鏡写しの存在」であるジョーカー、の2つ。①の方はダークナイトを思い浮かべるとわかりやすいと思うんですけど、普通の人類から完全に切り離された存在として描かれていることが多いです。超常現象のような悪意。人格形成の過程が全く推測できない、別の種族であるかのような考え方。初期のコミックスでは特に顕著ですが僕らのヒーローたるバットマンが打倒すべき、悪のカリスマを持つ怪人として描かれていました。逆に②のジョーカーは先述のキリングジョークや、コミック『ラバーズ&マッドメン』*2に描かれるように「バットマンがいるからこそ狂ってしまった人」です。宵闇に映し出されたバットマンの月影です。この場合は怪人ジョーカーに変貌したきっかけがコウモリ姿の男であるとハッキリ描かれています。悪人を討つことでバットマンが為さんとす正義の矛盾を克明にする役割を持って舞台に登場するのです。「バットマンがいなければこうはならなかったのに……/バットマンがいるからこそジョーカーで在れる……」って具合で。

 

・さて、この映画におけるジョーカーは①②どちらのジョーカーとも違うことがお判りですね。バットマン誕生前の話だからです。バットマンとの関係性が極めて薄い今作のジョーカーは「バットマンシリーズに出演するキャラクター」としての属性はほぼありません。ウェイン夫妻を殺害するのがアーサーとは直接関係のないぽっと出の男だったこともあり、ジョーカーはバットマンとできるだけ切り離して描かれていたように思えます。

今回のジョーカーは言うなれば ③負の感情の集積 として舞台に立っているのでしょう。笑いに、社会に、肉親に、散々裏切られ苛められてきたアーサーは殺人を犯します。その殺人は貧しい者たちの共感を得て社会運動のシンボルとなっていくわけですが、ここで注目しておきたいのはアーサー個人の経験や感情が社会運動と直接関係していないという点です。終盤で暴動を起こしている群衆は皆、富裕層に一発喰らわせたピエロを讃えています。しかしアーサー=ジョーカーそのものに共感している者はおそらく一人もいません。群衆はアーサーの生い立ちに同情を示すわけでもないし、ボロボロのネタ帳に書き留めたジョークで笑ってくれるわけでもありません。ただ、人々が感じている行き詰まりへの怒りを象るものとして、ジョーカーが社会に放ったカウンターパンチを讃えているだけなのです。その頃にはもう観客は過去イチの同情的な心境になっているんですけど……

このジョーカーの立ち位置は異例です。映画のエンディングでアーサーはアーカムアサイラムっぽいところに収監されます。あのシーン、バットマンのアニメシリーズだったら絶対脱獄の可能性を匂わせるかあるいは脱獄しちゃうかしてエンディングに入るし、デモを起こしてた暴徒たちはジョーカーに心酔した集団になって脱獄を手伝ったりしてたと思うんですよね。でも今作ではカウンセラーを殺してカッコいい血の足跡を残しながらアサイラム内で終幕。ジョーカー一味なんてものが結成された描写はありません。いち犯罪者としてのアーサーは(警察以外には)気にも留められていないのです。アメコミのように脱獄を繰り返しながら愉快な大犯罪をプロデュースする道化王子、などという未来はアーサーには存在しないのでしょう。本作の世界で将来的にバットマンと戦うことになるジョーカーは、(いるとすれば)アーサー本人ではなく80年代に発生したジョーカーという象徴のフォロワーになってしまうんでしょうね。今作のジョーカーの正体はアーサー本人というよりは「何もかも失くした男の一瞬の煌き」とするのが一番しっくりくるんじゃないかな。

 

・何を書きたいかわからなくなってきたな。

 

・ラストについて。カウンセラーを多分殺したアーサーは血の足跡を残しながら廊下を歩いてゆき、角を曲がったと思ったら他の囚人(看守かも)と追いかけっこを始めます。トムとジェリーのようにコミカルなアーサーをバックにENDの文字が浮かびエンドロール。僕はこの終わり方がほんっとに好きです。

あの追いかけっこはアーサーが喜劇の主人公である道化を演じきったことを表しているのかな、と捉えました。彼の人生は裏切りや狂気、怒りと悲しみに満ちているのですが、それは演者の目線に過ぎません。アーサーの人生の観客=私たちの眼には彼の行動のぎこちなさ、報われなさ、愚かさが客観的に映ります。客観的に観ているからこそ彼による民衆へのアジテーションがイリュージョンのような鮮やかさを備えていることに気づけます。これ、ピエロの演目と同じ仕組みなんですよね。内容が内容だから僕らが笑えないだけで、彼の変なタイミングで笑ってしまうという世間とのズレや自動ドアにぶつかるような間抜けさ、エア恋人と過ごす滑稽さなどは、哀れなピエロの笑いどころなのです。エンディング前のアーサーは気づいているのかもしれません。客席から観てる分にはどんな悲惨な人生もエンターテインメントだと。

 

・思い返すと細かい点に注意しながら観ておくべき場面が結構あったので、もう一回観たいと思います……

 

・みんなもジョーカーとハイロー観てね

*1:アメコミは一つの作品をを複数の作家が書く――例えば尾田栄一郎が考えたルフィが主人公のワンピースをを岸本斉史松井優征武井宏之がそれぞれの設定を加えて書いてジャンプに載せてるみたいな――というのがふつうで細かな設定が作者ごとに違ったりします

*2:犯罪の天才である男が駆け出しのバットマンと出会うことでジョーカーへと変貌する物語